Somatic Experiencing®のセッションを積極的に提供している認定SEPプラクティショナーの方で、イールドの技法も探求されている方からのレポートです。イールドの技法を学ぶ意味を含んだ内容として、シェアさせて頂きます。およそ一年前に私向けにお送り頂いた感想で、読み返して、本意に沿った形となるようわずかにAI校正した形で、御本人の了解を得て公開させて頂きます。
昨年(2025年5月)メンタリングにいらして、より抵抗のない場所を最初の立ち位置とすることを再確認された後の体験が元になっているようです。
“少し前に拝見した、SEとtitration、そしてイールドについての田畑さんのX(旧Twitter)をきっかけに、自分にとってイールドとの出会いが何を助けてくれてきたのか、あらためて気づく機会がありました。
私にとってイールドのアプローチは、titrationのひとつの極みに感じられます。一見、何も起こらないように見えるところから始めるからこそ、内側から立ち上がってくるものがある。そのことを、イールドを通して田畑さんから学ばせていただいたことは、SEを提供するうえでも大きな助けになっています。
これまでいくつかのSEトレーニングにアシスタントとして参加する中で、講師のバックボーンが心理寄りか、身体寄りか、あるいはどのような臨床経験を重ねてこられたかによって、SEのスタイルにもさまざまな違いがあることを感じてきました。
ある講師は、トラウマを「眠っているクマ」にたとえ、titrationを大切にしながらも、必要に応じてそのクマに慎重に近づき、動き出したプロセスをSEの手法で支えていくことを重視されていました。その姿勢には、臨床的な意味や学ぶところも多くありました。一方で、自分自身の感覚とは少し異なる部分もあり、アシスタントとして関わる中で戸惑うこともありました。
また別の講師は、何かを起こそうとしなくていい、起きてきたことをすぐにどうにかしようとしなくていい、という立場をより大切にされていました。身体全体で聴くこと、身体感覚を通して聴くこと、そして手法以前に、そこで起きていることそのものとプレゼンスを尊重することを重んじておられました。その在り方に触れると、やはりそれでいいのだと、ほっとする自分がいました。
どちらの在り方にも、それぞれの背景や目的があり、必要とされる場面があるのだと思います。そのうえで、私自身にとっては、何かを動かそうとする前に、まず身体そのものの知性や自己調整の力を信頼するという方向性が、とても大切な支えになっています。
SEトレーニングに参加し、プラクティショナーとしてのプレゼンスを深めたいという関心から探究を始めたイールドでしたが、もしイールドと出会っていなかったら、今よりもずっと、何かをコントロールしようとする要素が、自分のセッションの中に含まれていたのではないかと思います。そう考えると、本当に出会えてよかったと感じています。ありがとうございます。
心理をバックボーンにもつ方々の中には、クライアントの内的プロセスを丁寧に見立て、必要な介入や調整を行うことを専門性として学んでこられた方も多いのだと思います。その専門性には大きな意味がある一方で、私自身は、目の前の人の身体そのものがすでに持っている方向性や、自発的に整っていく力を、さらに信頼してみたいと感じています。
だからこそ、SEを実践されている方々にも、イールドのように、プラクティショナーが主体となって何かを起こすのではなく、一見何も起こらないような場所にとどまることによってこそ始まるプロセスがある、ということを体験していただけたらいいなと思うことがあります。
これからも、自分にできる場所で、こつこつとイールドの探究を続けていきたいと思います。”


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